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劇場アニメ「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」:願いと呪い [タイトル:マ行]

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「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」は、原作の漫画作品「のろい屋しまい」をオリジナル脚本で映画化したものだ。



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この時代に、魔法を使う少女を主人公にアニメ作品を作るということは、「まどマギ」という高すぎるメルクマールと、どのようなスタンスで対峙するか、ということにほかならない。

そして、本作品は真正面から「まどマギ」のメインテーマを再構築してみせた良作なのである。



魔法とは、願いを叶える時、それを物理法則を無視したカタチで行う手法のひとつである。

まどマギの世界では、その代償を魔法少女の命で贖う。

ヨヨとネネでは、リソースとしての魔力は「魔の国」の存在を設定して不問に付したが、むしろ「願い」の側に根本的な問いを投げかけている。



人の<願い>とはどういうものか?



例えば、社業の成功を望めば、ライバル社の不運を連れてくる。

例えば、恋愛の成就を望めば、恋敵はその恋を失うだろう。

例えば、受験の合格を望めば、誰か一人がその学籍を失うだろう。



つまり、<願い>とは他者への<呪い>なのだ。

ありふれた日常の呪い。



お正月に神社に小銭を投げて、手を合わせて願う他愛のない願いは、それが叶うものでないことを知っているからこそ、他者の幸せを自分にも少し分けてもらえたらなあ、という夢想に終わる。



そしてそこに無尽蔵なリソースを持つ<魔力>が介入してきた時、世界はどうしようもなく崩れ去ってしまうのだ。









圧倒的に大きく、無尽蔵なエネルギーである<魔力>で動いている「魔の国」では、<死>でさえも魔法でキャンセルできる。このような世界では願いはあくまでも自分のもので、呪いは他者への純粋な悪意である。

リソースが限られるからこそ奪い合い、争いが起こるのであって、そういう意味では魔の国には、<欲望>そのものがないのある。

その反面、「魔の国」では命が軽い。



生まれてきた命への感謝。

無条件で絶対的な愛情。

親が子を育てる時に、学ぶこの大切な気持ちは魔の国では学べない。

他者の幸せをおすそ分けしてもらって生きている僕らであるからこその気持ちがここにはあるのだ。



絶え間ない技術革新で、今よりももっと豊かになりたい、という我々の歩みは本当に<幸せ>に向かっている歩みなのか。

僕らはもう一度考えてみる必要があるのかもしれない。





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